バラナシ17・対岸


話は半日ほどさかのぼる。


YuiとFannyと別れてバラナシの街を散策していた時の話だ。



喉が渇いた俺は、ガンガー沿いではなく一本道を入ったところにあるチャイ屋に入った。若い男二人が店員をしている店だ。そろそろバラナシを離れる日が近づいていたこともあって、いつもと違う注文の仕方をしてみた。


『チャイの入れ方を教えてくれないか?自分で入れたチャイを飲んでみたいんだ』
店が暇だった事もあって、男二人は楽しむようにチャイの入れ方を指導してくれた。実に簡単だった。使い込んだ風な鍋で牛乳を温め、紅茶の茶葉を入れる。味が出たら茶葉をこして砂糖を入れるというシンプルなものだった。
インドには実に様々なチャイの店があるが、ここのチャイはシンプルなつくりだっただろう。味も実にシンプル。例えば香港の重慶大厦の1Fのチャイなんかは、もっとジンジャーやシナモンの効いた眼の覚めるような刺激のある味。こちらのは素朴な、でもだからこそ暑さに疲れた体には嬉しい味だった。

自分で入れてみたチャイはことのほか美味しく、俺は3杯も飲んでしまった。するとさすがに体が暖まりすぎて暑い。俺の目は店の奥の冷蔵ケースにいった。




それは冷やしてあるヨーグルト調の飲み物、ラッシーだった。やべぇ超うまそう…。


俺はインド入りしてからこっち、このラッシーは避けてきた。ヨーグルトは腹を壊しそうな雰囲気がぷんぷんしていたからだ。トイレ事情が複雑なインド旅行で腹を壊したくなかったのだ。だが、火照った体は冷えたものを要求していた。ひとつだけ頂戴。というと、いいよと言いながら男が素焼きの入れ物に入ったラッシーを取り出してくる。冷えて入れ物がすうっと冷たい。



『うっ………まっ…!』



キンキンによく冷えたラッシーは半凍りになっていて、シャーベットラッシーと半ばなりかけていた。シゃリッ、シャリッ!という食感に甘味の効いた乳酸菌の味が、体に染み渡る。おおお…うまい。もう一杯くれる?とつい言ってしまった俺は、結局のところ3杯もこれを飲んでしまった。




…これが大失敗の元だった……。



                     ※


ラッシーを飲み終えた俺はガンジス河の対岸へと渡ってみることにした。


Yui達とボートに乗った時からずっと行ってみたかった対岸。建物がひしめき合うガート側とは違い、白い砂浜のようなものが広がる対岸は一体どうなっているのか興味があったのだ。

ガートのボート屋に声をかけ交渉する。向こう側へ行き、あちらで少し遊んできて戻してもらう。ギィコ…ギィコと櫂の音を聞きながらついに対岸へと着いた。





そこは正にだだっぴろい砂浜だった。白い粒子の細かい砂が一面に広がっている。人はそれほどいないが、たまに簡易的な日よけを作って水浴びをする家族連れのインド人や、コーラを売る人がいる。
ガンジスの対岸は不浄の地だからあまりインド人は来ないとも、雨季は水かさが増して水没するとも言われている。なので人が少ないのは当たり前の事かもしれないのだが、それでも人の往来の多いダシャシュワメート・ガート付近と比べるとことさらに対岸は静かな空気が流れていた。



サンダルに入る砂を気にしながら、しばらくぶらぶらと歩いていた。すると馬を二頭連れ歩く少年達がいる。こんなところに馬がいんのかよ…。
少年の一人が俺を見かけると、馬に乗ってみない?30分100ルピーだよ、と声をかけてきた。



ボートも待たせているし、30分も馬に乗っていたくないので『10分で50ルピーにして』とお願いすると、少年は渋々了解してくれた。二頭の馬のうち、横になって日光浴していた白い馬を手綱で引っ張り起こす少年。近くまで連れてくると、その馬の顔の辺りの皮膚が大きくピンク色にただれていた……うお、なんか病気とか持ってねーだろうなこの馬…。

ともあれ鐙に脚をかけ馬に乗せてもらう。乗って初めてわかるが、馬はかなり高さがあった。手綱を少年が握り歩きながら先導する。ああこういう風にして乗らせてもらうわけか。
その高さから、砂浜の奥(ガートの反対側)を見やる。砂浜はどこまでも続いていそうで終わりが見えない。ふと自分が砂漠を渡る旅人のような気が、向こうの砂浜までずっと行きたいような気になる。


「ねえ〜本当に10分でいいの?やっぱり30分にしない?」と少年が何回か聞いてくる。『いやいいって。そんなに時間も取れないし、やっぱこんなところ30分も乗ってても…』と断ると、ふーん…と突然歩調を速める少年!



『おま、ちょっ何やって…ウッワ!』


馬の速度が上がり、上下の揺れが激しくなった。
手綱を少年が握っているせいでろくに摑まるところがない。ハッキリいってちょっと落馬でもしそうだ。少年はたまに後ろを振り返り、悪戯っぽい顔を向ける。てめぇ〜ワザとやってんなこの野郎……!俺は意地になって体勢を伏せ、何が何でも落ちないように努めた。何となくこのガキは俺が落ちたら笑い転げそうな気がする……!





『ハァ、ハァ……』


10分後ようやく少年が馬を止めた。馬の腹を締め付けたせいで脚がフラフラだった。ちぇっ。という顔でお金を受け取る少年。それじゃあね。と、すらっと馬にまたがり仲間の下へと戻っていった。その姿はやっぱり慣れた動作で、ちょっと絵になっている。やっぱりここは砂浜というより、砂漠みたいだ。



夜はどうすんだろ、とか、彼等は一日の内どのくらいの時間ここにいてあの商売をしているんだろうとか考えてしまう。対岸の不思議な静けさと雰囲気を味わいつつ、俺はボートの元へと帰っていった。