素顔

香港にいた頃の話だ。





街で知り合ったベロニカ(仮名)は容姿端麗スタイル抜群で、ピチピチのジーンズにボディラインの出るぴったりとしたTシャツを着こなして、颯爽と漢字の看板が並ぶストリートを歩いていた。俺はというと写真を撮らせてもらったのをきっかけに話をするようになり、一緒にご飯を食べにいったりしていた。


ある日彼女が「私の部屋に来る?」と誘ってくれた。佐敦の大通りから一本入ったところにある、古びた雑居ビル。部屋があるという5階。二人乗るのが精一杯の小さなエレベーターはギシギシと嫌な音を立ててゆっくりと上がっていった。




「ここが私の部屋」
ベロニカが招き入れてくれた部屋は、それほど女の子女の子していない普通っぽい部屋。椅子はなく、部屋の奥にあるベッドに腰掛けて、と薦められる。女の子の部屋に入る時はいつも無駄に緊張する。





「着替えるから向こうむいててよ」
部屋の角で着替えるベロニカを見ないように、入り口の方をむく。入り口脇のコンロにはモヤシとナスを炒めたものがフライパンに入ったままになっていてガラスの蓋がされている。その脇に少しパサパサになっていそうな白米。いかん緊張するとどうでもいいところに目が行く。



とはいえ、女の子の部屋に二人っきり。緊張はするが、いいことが起こる予感しかしないww 俺は思わず床に這いつくばって腕立て伏せを三十回ほど訳もなくしたくなったが、そうこうしているうちにベロニカは楽な格好に着替え終わっていた。俺の隣に腰掛けるベロニカ。





『あ、そうだ』

その時俺は街でベロニカを撮ったカメラを持っていたから、データを渡すよと言った。メモリーカードを出して彼女に渡す。ベッド脇のノートPCに差込み画像を確認するベロニカ。
被写体がいいのもあるのだが、今回の写真は結構自信があった。多分十枚くらいはベロニカの気に入るショットがあるのではないか…と俺もPCを覗き込む。と、ベロニカは真剣な顔でそれらの写真を見て、特に顔の表情はアップで見て確認していた。そんなに表情が気になるのかな?
ベロニカは全ての写真に目を通すと、3枚ほどを残して後は自分のPCからは削除してしまった…。俺が綺麗に撮れたと思っていたショットも何枚か消されたから、少し驚く。まあ、どの写真が気に入るかはベロニカが決めることだけどさ…。




不思議な気持ちに包まれて、手持ち無沙汰になってベッドの上の換気扇に目が行く。西日が差し込んで、ファンの回転と共に影と光が交錯する。この時間はこの部屋は落ち着かないようだ。まぶしいな、と思っているとベロニカがベッド脇のタンスをごそごそとやり始めた。
何探してるんだろ?と思ってると、ベロニカは後ろ向きのまま俺に何かを投げつける。何?





それはパスポートだった。
めくってみるとベロニカじゃない人の顔が映っている。『誰のパスポート?』








「それ私よ」
ベロニカは後ろ向きのまま答えた。2秒くらいしてから、背中にナイフを突きつけられたような嫌な汗をかく。


目…も違う、鼻…も違う。今より太ってて?…顔の輪郭…輪郭はでも似てるかも…。
整形…か…。そこでベロニカは俺の方を無言で向き直った。すらりと伸びた鼻筋に、切れ長の目。端正な顔だと思う。が、目にだけ妙なかぎろいが宿っている。少しだけ怖い。




昔はどうあれ、今が綺麗ならいいんじゃないの?今ベロニカは街の人が二度見しちゃうくらい綺麗じゃん。昔とか気にする必要あんの?整形、日本の女の子もプチ整形が流行ってるらしいよ。そんなに珍しいことじゃない。多分みんなやってる。全然綺麗だし問題ないよ。


言いたい事は頭の中に溢れた。
でも俺はなぜかそのうちどれを彼女に言っていいものやら、どれなら彼女を喜ばせられるのか、決められなくて、そのうちどれも口に出せないでいた。ベロニカは無言でパスポートを俺の手から取って、タンスにしまうと、何事もなかったのかのような笑顔に戻った。






あれから随分経った今でもその時の事を思い出すときがある。今になっても、あの時どの言葉を言ったらベロニカを喜ばせられたのかよくわからない。そんな事もわからないから、未だに女の子にモテないんじゃないかって、思う。