バラナシ18・最後の夜〜ババ/プッシィ〜

バラナシ最後の夜だった。



夕食を取り終え、午後11時半ばにもなろうかという頃。FannyとYuiは部屋に戻りベッドで横になっているのだろう。俺も同じく荷物の整理をしていた。しかしこれで最後か…と思うと、バラナシの夜を最後にもう一度散歩してみたくなった。


フレンズゲストハウスを出てダシャーシュワメードガートの方に出ると、暗いものの細々と明かりが灯っている店がある。その中の茶屋でチャイでも飲もうかと椅子に座ると、隣に座っていた男に声をかけられた。男は50から60くらいの老人で、洗ってなさそうなチリチリの白髪に長い白ヒゲをたくわえた、僧侶のようななりをしていた。


「どこから来た」
『日本から』
「そうか」


名をババというらしい。しばらくしてチャイが二つ運ばれてくる。ババの英語はそれほど流暢ではなく(まあ俺もだが)、会話はポツリポツリとされていく。



ババはチャイを口につけながら、俺を見るような見てないような静かな佇まいだった。だから、自然と俺が彼について質問をする形式になっていった。
ババは63歳。バラナシに住んでいる。昔は結婚して家族がいたが、今は一人の身だ。飯は毎食は食べない、たまにだけ。家もないので夜はガートで寝るのだと言う。『寒くないのか?』と聞くと、バラナシの夜は暖かいのだと。確かに、もう結構いい時間なのにも関わらず外の空気は生暖かかった。これなら野宿もできそうだ。
「チャイ代は私が持つよ」ババが支払いを済ませた。世捨て人という単語が浮かんだ。どうも仕事はしていないようだったが、飯代やこういう金はどこから出てくるのだろう。
やがて沈黙が訪れ、ババは懐から小さく粗末なインド製のタバコを取り出し、紫煙をくゆらせた。俺にも一本勧められる。タバコは吸えないのだが………ごふっ、煙い。タバコを吸い終わると、もうババの眼は虚空を彷徨っていた。
『もう行くよ、ありがとう』と言うと、ババは眼をこちらに向け、静かに頷いた。



                       ※



すぐそばのガートに下りた俺は河沿いに少し歩く事にした。


ガートは先程の店のある通りよりも更に暗い。ほんの僅かな街灯と河に隣接する建物から漏れる光だけが頼りの世界。河の流れる音と生暖かい風の音が聞こえる。しかし人影は闇に紛れてそこそこの人数がいるようだった。ガートの階段に腰掛け友人と河を見ながら話をする者、ガートに設置された、傘つきのござの敷いてある板張りの腰掛けで横になって寝ている者、暗いことなんかなんのことはないかのようにガートを散歩する者が結構いる。外にいても暖かい気候だからだろうか、夜も更けている時間だと言うのに、皆家に帰るのがもったいないかというような面持ちで夜の会話を笑顔で楽しんでいた。


京都の加茂川を俺は思い出していた。あそこも夜行くと川辺で語らう人や酒盛りしている人をよく見かけたのだ。川辺は憩いの場で、夜の川というのはまた何ともいえない情緒がある。俺は常々そんな場所が近くにある土地に住んでみたいと思っているから、ガートでくつろぐ人達の気持ちはわかるような気がした。



(こんな腰掛がよく置いてある)



おや?歩いていると前方から声をかけてくる者がいた。暗闇に紛れてその地黒の男は顔がよく見えない。

「おおアナタ、こんなところで何してるの?」


バラナシに着いた時タオルやら短パンなどを買ったプッシィだった。最後の夜の散歩なのだというと、彼は俺を傘付きの腰掛けに誘った。





「チョコ(ハシシのこと)はいらない?安くていいのがあるよ。…いらない?ならオンナはどうだ。すぐに連れてこれる」

『いやヤクはいいよ。女も。明日結構早くにバラナシを経たないといけないんだ。悪いけど…』そう答えて、場を離れようとする俺。
すると、プッシィは俺を引き止めるのだった。





バラナシ19に続く。