バラナシ19・最後の夜2


(バラナシ夜の路地。とにかく暗い)

「まあ待てよ。わかったもう仕事の話はしないよ。普通に話をしよう」そうプッシィが言うので、俺は浮かしかけた腰を下ろした。

「日本のフジテレビのスタッフにスギタっていう女の子がいるんだ…」
長澤まさみのドラマ『ガンジス川でバタフライ』の撮影に同行した若い日本人女性のスタッフの話を延々としだすプッシィ。日本人の女は優しくて礼儀正しい。けどエロい。とかなんとかいうことをタラタラと話すので、そんな話よりも色々こいつに質問をしてみようと思った。



『プッシィは普段どんなことをして暮らしているんだ?』

「店でものを売ったり、女、ヤクなんでも売るよ。もう一回聞くけどチョコとかは本当にいいのか?(いらないです)俺はこの辺りで結構顔がきくんだ。怒らせたら誰も手をつけられない。警察だってな」

『日本語だいぶうまいけど誰に習ったの』

「学校で習ったわけじゃない。俺は日本人の友達が多いから、彼等と話しながら覚えた。日本の神戸に行ったこともある。○○という日本シンガーはとてもいいよ(JPOPを歌い出すプッシィ)」

『日本とインド、どっちがいい国だと思う?』

「日本もいいけど、やっぱりインドだよ。バラナシは最高だ」

『彼女はいるの』

「いるよ」

『エッチした?』

「………(急に無言になるプッシィ)」
この質問をしたのには訳がある。インドでは女性の貞操が固く、戒律的な理由からも、付き合っているとはいえそうそう肉体関係になることはできないとどこかで聞いたことがあったからだ。

『してない?それは戒律的な理由かなにかで?』「………」
再び無言のプッシィ。言葉を出さないことが俺の質問を肯定していた。麻薬とオンナを売り歩くような彼でさえ、戒律を守り彼女に手を出さないのだろうか。プッシィは欲しいものが手に入らないような、焦れったい顔をする。

「インドは色々理由があるね」プッシィはポツリと言った。


その後は色々なことを話した。プッシィが日本で体験したこと、俺のことなど、とりとめのないこと。30分くらいは話していたと思う。

街灯のあまりない暗いガート、河の流れる音、暗闇にぼうっと浮かぶプッシィの黒い顔とポツリポツリと話す言葉。いつしかそれらは混然一体となって厳かな雰囲気を作り出していた。

「ラーニングイズバーニングっていう言葉を知っているか?」
人が生涯で学んだことは、死んで灰になっても無駄にならない。この世で得た知識はあの世に行っても役に立つからだ。とか、わかるようなわからないようなことをプッシィは、もう俺に聞かせているのか、それとも独り言かわからないような話し方で話した。

ムードという言葉がある。午前零時近いバラナシで、俺達二人はムードに酔っていたかもしれない。今もしプッシィがチョコやオンナを勧めてきたら難なくいいよと言ってしまうような気がした。なおも彼が話し続けようとした時ーー。



「こんなとこにいたのか。なにやってるの(意訳)」


背後から若いインド人の二人組が声をかけてきた。俺もプッシィもハッと後ろを振り返る。突然手を叩かれたような、現実に引き戻されたような一言だ。
プッシィはヒンドゥー語で彼等と二言三言話すと、「仲間が来たよ。俺は彼等と話さなければいけないことがあるよ。だからまたね」と、俺を傘から出るように促した。

『ああ、バイバイ』と、俺は宿に戻ることにした。


帰り道、ずっと考えていた。
ガンジス川から見る朝焼け、プージャの高揚感、そして夜の静かなガートと河の音。バラナシではどんな時でも人を雰囲気に浸らせてしまう魔力がある。だから沈没といって、バラナシに何ヶ月も逗留してしまうような長期滞在者がいるというのも頷けると。
暗い足元に注意しながら、部屋に戻り眠りについた。明日はいよいよバラナシを出る日なのである。




バラナシ20に続く。