欲望の船(3)

ホモ米国人マイクのねっとりした視線に耐え切れなくなった俺は甲板に出るべく上のフロアへ移動した。容赦のない日差しが降り注ぐ甲板はうだるような暑さのせいか、人影は少なかった。



一人の欧米人が小型のスピーカーをCDデッキに繋げて大音量で自国の歌を流している。欧米人はいつもこうだ。彼等は異国に来ても欧米人同士で欧米人を対象にしたレストランに溜まり、ハンバーガーとコーラをほお張り、自国の歌が流れるのを聴く。どこへいってもそこにプチマイカントリーを作り出してしまうのである。だがこの場で大音量で美空ひばりをかけられる日本人はいないだろう。
とはいえ遠くにぼんやりとベトナム版桂林と言われるハロン湾の奇岩群が見えだしてくると、悔しい事に少し年代の古そうなアメリカ歌手のテンポの遅い歌、そして安物のスピーカーから流れ出るそのチープな音は、ただ無性に暑い事を除けばのどかなクルーズにぴったりとマッチしていた。



(デッキ)








ハロン湾の奇岩群)


奇岩群が間近に迫ってくるにつれ、桂林という例えは正しいということを認識する。近くで見れば垂直に切り立ったありえないような絶壁だし、子供がクレヨンで適当に山の輪郭を描いたような奇岩が遠く並び立つのを見れば、中国の水墨画のようなパノラマをハロン湾は見せていた。
やがてクルーズ船から小さなボートに乗り移るよう船内に指示が出されると、ボートは環状になった奇岩に近づいていき、その一部にできている小さな穴-洞窟のような箇所を通って環状の内部へと進んでいった。紅の豚のポルコのアジトみたいだった。大自然はこんなアニメみたいな場所を本当に作っちまうもんである。

が、本場中国の桂林は揚子江下りのクルーズも4時間くらいかかるが、後半はダレて飽きてくるとよく聞くように、俺も既にこの辺で奇岩群に飽きてきていた。どの岩を見ても同じに見えてきてしまうのである。クルーザー船に戻った俺は、暑い甲板をやめて極力マイクと離れた席に座りながら船室で死んだ魚のような目で岩々を眺めていた。



ハロン湾の奇岩群とボートピープル


と、やがて奇岩の間に停泊するように小さな船がいくつも目に入ってきた。そのどれもが船、というよりも小屋が筏の上に乗っている、という感じであり、中には本当に小さな一軒屋が乗っかっているような船もあるのであった。ボートピープルである。こんなとこで一日中暮らすのか…。昼間だからなのか、電気のついていないであろう船上の暗い室内から青白い光がチカチカと光るのが見える。どうやらテレビが見れるらしかった。意外に中は快適なのかもしれない。


その船団の中に混じって一際大きな小屋の乗っかった筏があった。中が見えるので目を凝らしてみると、驚いた事に大きな小屋の中には黒板といくつも並べられた木の机がある。ボートピープルの子供の学校のようであった…。実際奇岩よりもインパクトはあったかもしれなかった。ボートピープルの子供は自分の両親と住む船の中で寝起きをし、昼間は親に学校船まで送ってもらって船上で授業を受ける。そして夕方になると再び親の船がやってきて、子供を自宅の船に迎える…。それが繰り返される毎日。そんな想像が頭をよぎった。
子供の時は狭い世界が広く感じられるものである。家から1kmの公園に行って帰って来るまでが冒険だった。しかし、このハロン湾の自宅船と学校船を行き来するだけで一日が終わってゆくとしたら、ボートピープルの子供として産まれてそこで育ってゆく子供たちはそれを毎日どう感じていくのだろうか。陸地で暮らす俺には到底想像がつかない暮らしだった。


…数時間におよぶクルーズが終わり、船は宿泊地の港町へと辿り着いた。陽がもうすぐ暮れようとしている。一向はツアーの予約したホテルに向かい歩き出す、と、いつの間にか隣にマイクが歩を並べていた…。
「やあ兄弟…」再びねっとりとした声で、奴は嬉しそうに呟いた。



(4)に続く。



あ〜〜書くのダルくなってきちゃった……。でも最後まで書かなきゃ…。